お金のことでの親の影響についてー文化的再生産とヘゲモニー
お金のことでの親の影響について書いてみたいと思います。
親の影響のあり方は2つあると思います。
ひとつは、家庭という場における文化的再生産論的なものとして、もうひとつは親のヘゲモニーによるものです。
現在の日本人のほとんどは、学校教育でお金についてきちんと学ぶ機会がなく、
- お金に関する認識
- お金の管理の仕方
- お金の使い方
これらは結局、親の影響を受けたものになっている人が大半であると言われます。
- 親の発言にあらわれるお金に関する認識
- 親がやっていたお金に管理の仕方
- 親がやっていたお金の使い方
これらが、検閲(笑)されることなく、批判されることもなく、子供の目や耳に触れ、血肉化されるということですね(笑)。
こういった、お金に関する習慣といったものが家庭内で再生産されるという考え方って、ピエール・ブルデューの文化的再生産論的な考え方。
これと並行してもうひとつ、「親による子供の支配」というものがあると思います。
親の言うことに逆らえない、親の顔色が気になるというものです。
- 自分のお金のことなのに親が口を出す
- 自分のお金のことを決めるのに親の顔色が気になる
- お金の管理について自分で決められず、親の言いなりになる
これって、親子というヘゲモニー体制に取り込まれている状態。
結婚や進路、まとまったお金の使い途といった場面では、なにかと親が絡んできます。
親の声が過度に支配的であれば、子供(といっても大人を想定していますが)はきちんとした判断ができなくなったり、自分の思いを十分に反映させることができなくなったり、自分がしようとしていたことをあきらめてしまったりします。
思考停止、無気力化、投げやり、といった態度になってしまうわけです。
自分で自分のことをコントロールすることを放棄した状態です。
冷静な判断が必要な決断の場にこうした歪みが混入し、蓄積されていくのです。改めて恐ろしいことだと思いませんか。
自分のことなのに、自分のことのように感じられなくなります。
自分で自分の人生を生きている実感がもてなくなります。
挙句の果てに、それが普通なことだと錯覚してしまうのです。
それを正当化するのは、家父長制のイデオロギーと「親の愛」というイデオロギー。
いまだに家父長制のイデオロギーは強固。
「親の愛」というイデオロギーはそれにも増して強固。
後者は特に美化されるから余計に危険。
お金において、親の影響は大きい。
しかしながら、お金についての意識や行動は「教育」によって変えられる。
こっちは教育次第。
私が本当に問題だと思うのは、親子という支配関係の方。
これにどうやって対処していくか。
まずは、
親の支配にいかに自分が絡め取られているかを自覚していく作業が必要かと思います。
第一段階として、
- 自分の領域を「整理」して、境界線をクリアにしていく
この作業かと思います。
親は境界線をあいまいにしたがります。
そして大人になってからも私たちの領域に侵入し続けようします。
お金のこと含め、自分の領域から親を閉め出さなければなりません。
こんなことを言うと、
「そんなおおげさな!」
「親は子供がかわいいに決まってる」
そんな声が聞こえきこそう。
でも、そんな風に問題を過小化せずに、現実を冷静に見つめるべきだと思います。
- どっちがヘゲモニーを握っているか
- 自分の意思決定が何によってゆがめられているか
少し考えてみれば一目瞭然です。
センチメンタリズムに陥ってはいけないと思います。
家族という幻想にとらわれていては泣きをみます。
家族に限らずですが、共同体は幻想。
親と私たち世代とでは、別の世代を生きており、社会的にも別の集団に属します。
親の行動原理はエゴです。
踏み込ませないラインをしっかり引かなければなりません。
大して根拠の無い時代遅れな親の言うことをきいて、自分の人生を台無しにしていいの?
・・・いいわけないよね?
解決策としては、
「コツコツ整理していく」
しかない、かな。
そして、共依存状態を脱したところで、ちゃんと自分の得になるように行動していく。